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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)3384号 判決

原告 田川光代 外2名

被告 牧文江

主文

被告は、原告田川光代に対し金120万円、原告川久保広子に対し金50万円、原告美山秀三に対し金80万円、及び右各金員に対する昭和55年3月20日から支払済まで年5分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを10分して、その9を原告らの、その余を被告の、各負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ら各自に対し、それぞれ金1000万円及びこれに対する昭和55年3月20日から支払済まで年5分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、○○○○教○○○○教会(以下、「○○教会」という。)の会員信者である。

原告田川光代(以下、「原告田川」という。)は、昭和31年5月9日生れで、昭和49年6月12日に入信し、昭和52年3月に○○女子短期大学被服科を卒業した後、家事手伝いをしていた。

原告川久保広子(以下、「原告川久保」という。)は、昭和33年9月1日生れで、昭和52年4月に○○○○○○女子大学文学部児童文学科に入学し、同年6月1日に○○教会の会員信者となつた。

原告美山秀三(以下、「原告美山」という。)は、昭和24年8月8日生れで、昭和47年3月に○○○○大学商学部を卒業した後、昭和48年4月29日に○○教会の会員信者となり、昭和51年3月に同大学法学部を卒業し、昭和54年6月、○○○○○○徳島県本部事務局長に就任していた。

(二) 被告は、東京都○○○○市○○×丁目×番地ノ×において「○○○○○病院」と称する精神病院を経営する医師である。

(三) 亡近藤金五却(以下、「近藤」という。)は、昭和50年頃、「○○○○○○○の会」に入会し、その会長に就任し、同年4月27日には○○○○教会で「第1回○○○○○の会全国大会」を開催し、同年10月27日には同会を代表して「○○○○即時禁止令要請書」を発表した。近藤は、昭和51年6月15日には同会会長を辞任して、新たに丸田直と共に「○○○○○○○会」を結成し、その会長を名乗つていたが、右両名は、○○教会員を拉致し、監禁して棄教させる目的で、東京都練馬区○○×丁目×番××号に「○○会ホーム」を設置し、○○教会員を抱えた親から1人当たり数10万円の謝礼を受取つて、○○教会員を○○会ホームに収容し、棄教を強制していた。ところが、昭和52年2月5日頃、右丸田が○○会ホームに収容中の一女性を強姦した事件が発覚したため、○○会ホームの利用者はなくなり、近藤は、これを閉鎖した。そして、近藤は、これに代わる施設として精神病院に目をつけ、○○教会員を抱えた父母にその利用を勧めるようになつた。そのような病院のひとつが、○○○○○病院である。

2  原告らの両親、近藤及び被告の共謀

近藤は、棄教させる目的で原告らを順次○○○○○病院に強制入院させる計画をたて、原告らの親に対し、だましても拉致してもよいから、兎に角○○○○○病院に原告らを連行するように教唆し、原告らの親が、その指示に従つて原告らを同病院に連行してくると、待ち構えている被告によつてあらかじめ診断することもなく、これを同病院に強制入院させることで、被告とも連絡をとつていたものである。

3  原告らの入院の経緯

(一) 原告田川の場合

原告田川の父田川忠正は、原告田川が昭和54年2月18日から同月25日まで両親に無断で○○教会の修練会に参加したのに腹を立て、昭和54年2月下旬から3月上旬の間に千葉県柏市の財団法人○○○○研究所の本部に相談に行つた。そして、そこで近藤の著書を手に入れ、近藤の住所や電話番号を知り、近藤に連絡し、原告田川を○○教会から離脱させる方法について指導を乞うた。これに対し、近藤は、○○○○○病院に原告田川を強制的に入院させるように指導した。そして、原告田川の父は、間もなく近藤を通じ、あるいは直接被告と連絡をとるようになり、昭和54年4月上旬頃には、原告田川を○○○○○病院へ連れてくるならばいつでも入院させるという被告の承諾を得ていた。

原告田川は、昭和54年4月7日、父田川忠正及び叔父大橋浩一により、東京都立川市○○○町×-××-××○○○会館に呼び出され、いきなり「お前は○○教会の奴と結婚するのか。」と聞かれ、「結婚します。」と答えると、「じやあ来い。」と言われ2人に腕をつかまれ、タクシーに乗せられ、そのまま○○○○○病院に連行され、被告との簡単な面接の後、看護婦に睡眠薬を注射され、眠らされたまま同病院に入院させられたものである。

(二) 原告川久保の場合

原告川久保の母は、昭和53年7月初めころ、○○日曜版で○○教会に関する記事を読み、それがきつかけで○○教会に反対する会に入り、山口市内の○○教会の山田牧師より反○○の本(○○○「○○○○の素顔」、○○○○「○○○○の研究」、○○○「現代日本に於ける○○○○教異端」など)を紹介されてこれを読み、これらの著作から近藤の名前を知り、更に昭和54年5月か6月ころ、○○新聞社に電話をして近藤の電話番号を教えて貰い、すぐに同人と連絡をとつた。

近藤は、原告川久保の両親に対し、○○○○○病院に原告川久保を強制入院させることを勧め、「どんな嘘をついてもいいから、兎に角病院に入れなさい。嘘をついてもいいんです。」と言つたうえ、被告の病院の住所や電話番号を原告川久保の両親に教えた。原告川久保の両親は、近藤を介し、あるいは、直接被告と連絡をとり、あらかじめ原告川久保の入院について承諾を得ていた。とくに、入院予定日の昭和54年10月28日が日曜日であつたが、日曜日の入院でも受け付けて貰えることについてもあらかじめ了解をとつておいた。

昭和54年10月27日、原告川久保は山口市○○町の○○教会にいたところ、母川久保加代子から電話で、東京にいる同原告の姉が怪我をしたので献血が必要である旨及びそのために上京するからすぐに帰宅するよう伝えられ、同日、両親に連れられて夜行列車で上京した。翌28日、東京駅に到着すると、すぐタクシーで○○○○○病院に連行され、被告から何と言つて連れて来られたかなどと問診された後、看護婦に心電図をとるのに必要だといわれて睡眠薬を注射され、そのまま同病院に入院させられた。

(三) 原告美山の場合

原告美山の両親は、昭和50年の初めに八王子市内で開催された○○○○○○○の会の勉強会に参加し、その会長である近藤と知り合つた。

原告美山の両親から、原告美山を○○教会から離れさせることについて相談を受けた近藤は、「○○会ホーム」が存在していた時は、そこに原告美山を入れるように勧めていたが、そこが閉鎖された後は、○○○○○病院に強制入院させることを勧め、成功例として原告田川の場合をあげ、自分で会つて確かめるように助言し、原告田川とその両親の氏名、住所を教えた。

原告美山の両親は、昭和54年11月19日ころ、徳島県から上京し、武蔵村山市○○○××××番地に原告田川やその両親を尋ね、既に棄教させられて退院していた原告田川を見て、原告美山の強制入院を決意した。そこで、原告美山の両親は、近藤の紹介で被告と電話で連絡をとり、近藤とも相談の上、原告美山を強制入院させる日を昭和54年12月8日と定め、被告の了解を得た。

原告美山は、昭和54年12月7日、徳島市内の母の知人大宮妙恵方へ食事に来るように誘い出され、同所において、父良一、母寿美子、弟寿夫らによつて背後から背広を被せられて取り押さえられ、睡眠薬を注射され、手錠をかけられ、足を縛られ、乗用車に押し込められて、途中カーフエリーを使い、翌8日、○○○○○病院に連行され、そのまま同病院に入院させられた。

4  強制入院の手続

右3の原告らの各入院に当たつて、原告らの同意がなかつたことは当然であるが、被告は精神衛生法第33条の保護義務者の同意による入院として処理している。しかし、原告らはいずれも当時成人で未婚であつたから、数人の扶養義務者がいる以上、同法第20条によりそのうち家庭裁判所が選任した者が保護義務者となるべきものであるところ、原告らについては、いずれも家庭裁判所によつて保護義務者が選任されていたわけではなかつた。

5  入院中の状態

原告らは、入院中、鍵のかかつた窓に鉄格子のある暗い病室に閉じ込められていた。また、原告らは病気でないのに毎日多量の薬を投与された。

更に、近藤及び被告によつて○○教会の信仰を棄てるよう強制された。

6  入院期間

原告田川は、昭和54年4月7日から同年10月24日まで201日間、原告川久保は、同年10月28日から同年12月9日まで43日間、原告美山は同年12月8日から翌55年3月4日まで88日間、それぞれ○○○○○病院に入院させられた。

7  退院事由

退院に際しては、原告田川については被告、近藤及び原告田川の両親が、また、原告川久保については被告及び近藤が、右原告らが○○教会の信仰を棄てたことを確認した上で退院を許された。同原告らは、退院させて貰うために棄教したように装つていたものである。

原告美山は、東京高等裁判所昭和55年(人ナ)第1号人身保護請求事件の判決によつて釈放され、退院したものである。

8  退院後の異常

原告らは、いずれも長期にわたる監禁、棄教の強制、投薬のために、心身の異常が相当な期間続いた。具体的には、笑おうと思つても笑うことができない、首が回らない、指が思うように動かない、視力が低下した、全身が急に震え出し、気分が悪くなることがある、指や腕がけいれんする、歯が急に悪くなつた、疲れ易い、眠れないなどの症状が現れた。

9  損害

原告らは、被告の行為により人身の自由、思想信条の自由、信教の自由、名誉を侵害され、多大な精神的苦痛を被つた。原告らが被つた精神的苦痛に対する慰籍料としては、少なくとも原告ら各自についてそれぞれ金1000万円が相当である。

10  結論

よつて、原告ら各自は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、それぞれ金1000万円及びこれに対する不法行為の日以降の日である昭和55年3月20日から支払済まで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  (一) 請求原因1(一)の事実のうち、原告らが○○教会の会員であることは認めるが、その余は知らない。

(二) 同1(二)の事実は認める。

(三) 同1(三)の事実は知らない。

2  同2の事実は否認する。

3  (一) 同3(一)の事実のうち、昭和54年4月7日に原告田川が○○○○○病院に入院したことは認め、被告が原告田川を同病院に連れてくれば、いつでも入院させるとの承諾をなしていたとの点は否認し、その余は知らない。

(二) 同3(二)の事実のうち、原告川久保が昭和54年10月28日に○○○○○病院に入院したことは認め、被告が、原告川久保の入院についてあらかじめ承諾していたとの点は否認し、その余は知らない。

(三) 同3(三)の事実のうち、原告美山の両親が被告に連絡したこと及び原告美山が昭和54年12月8日、○○○○○病院に入院したことは認め、被告が原告美山を入院させることについて了解したとの事実は否認し、その余は知らない。

4  同4の事実は認める。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実は認める。

7  同7の事実のうち、原告美山について同原告を釈放する旨の判決があつたことは認めるが、その余については否認する。

8  同8の事実は否認する。

9  同9については争う。

三  被告の主張

本件において保護義務者の選任手続がなされていなかつたことは原告主張のとおりであるが、それは、原告らの両親が子である原告らの将来に支障が生じないように精神病院への入院は公にしないでほしいと懇請し、被告もこの要請を受け入れざるを得なかつたためである。更に、同様の処理方法は、精神病院患者の40パーセントもあるといわれている。以上のような事情からすると、原告らの入院手続に瑕疵があつたとしても違法ということはできない。

四  被告の主張に対する認否

否認する。

第三、証拠〔略〕

理由

一  原告らの入院に至る経過

1  原告田川の場合

原告田川が○○教会の会員であること、昭和54年4月7日に原告田川が○○○○○病院に入院したことは当事者間に争いがなく、これに原告田川本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第7、第9号証、証人田川忠正の証言並びに原告田川本人尋問の結果(但し、後記認定に反する供述部分は、措信できないので除く。)を総合すると、次の事実を認めることができ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

原告田川は、昭和49年4月に○○女子短期大学被服科に入学し、同年6月12日ころ、○○教会の会員となつたが(当時は18歳であつた。)、そのころから同女の態度や言葉遺いに変化が生じ、そういつたことから原告田川の両親は、同年12月ころには、原告田川が○○教会の信者となつたことを知つた。原告田川の両親は、原告田川が右大学を卒業し、会計事務所に就職した昭和52年ころから、原告田川の○○教会への出入りに本格的に反対しはじめたが、その理由は、○○教会に行くため原告田川の帰宅時刻が午後7時半から8時と遅くなるようになつたこと、原告田川が、○○教会ないしその関係団体から数10万円もする壺を購入するなど給料のほとんどを○○教会に関連したことに支出していたこと、原告田川は、しばしば自宅の茶畑の外に出て東を向いて何かを拝んだりしており、それは時には1時間近くに及ぶこともあり、また朝起きて30分から1時間くらい壺をなでながら拝んでいたこともあり、これらの行為は、原告田川の両親の眼から見ると奇異に映つたからであつた。

原告田川は、昭和54年2月、書き置きをして両親に無断で1週間の○○教会の修練会に参加したが、これを機会に原告田川の両親は、千葉県柏市にある財団法人○○○○研究所に赴き相談し、そこで近藤の著作にかかる「○○○を葬れ」という本を貰つたが、この時点ではまだ近藤と連絡をとつていなかつた。そして、原告田川の両親は、原告田川に○○○○研究所の講習を受けさせることによつて信仰を変えさせようとしたり、○○教会に行くことを制限したりしたが、その効果はなかつた。そこで、原告田川の父は、原告田川の信仰はもはや精神病的なものであると考えて、自分の主治医である坂井医師に相談したところ、同医師は、いとこにあたる被告が経営する○○○○○病院を紹介した。そして、原告田川の父は、昭和54年3月ころ、○○○○○病院に相談に行つたが、本人の状態を診てみないとなんともいえないとの回答を得た。一方、原告田川は、両親に○○教会へ行くことを禁じられ、教会関係の本も取り上げられたりしたので、昭和54年4月4日、家出をして○○教会員の友人宅で生活するようになつたが、居所は両親には知らせず、毎日一方的に電話をしていた。

原告田川の父は、昭和54年4月7日親戚の結婚式に出席すべく準備をしていたところ、原告田川から電話があつたが、時間がなかつたので、○○○会館で行われる結婚式に行かなければならないと告げて電話を切つた。原告田川は、自分の信仰について父親を説得しようと考え、○○○会館に赴いた。その時、○○○会館では披露宴が始まつた直後であつたが、原告田川は、ボーイを通じて父親を呼び出した。原告田川の父は、原告田川の叔父大橋浩一とともに会場を出て原告田川に面会して話しあつたが、原告田川は、「教会に行くことを許可してくれ。」の一点張であつたので、原告田川の父は、かねて考えていたことを実行に移すことにし、右大橋とともに、原告田川の腕を強引につかんでタクシーに乗せ、○○○○○病院へと連れていつた。そして、原告田川の父は、被告からよく診断した上で入院させるかどうかを判断するといわれ、原告田川を被告に任せて帰つたが、その日のうちに被告から入院させる旨の電話があつた。

2  原告川久保の場合

原告川久保が○○教会員であること、原告川久保が昭和54年10月28日に○○○○○病院に入院したことは当事者間に争いがなく、これに原告川久保本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第13、第15号証、成立に争いない乙第3号証、証人川久保加代子の証言並びに原告田川及び被告本人尋問の結果(但し、それぞれにつき、後記認定に反する供述部分は措信できないのでこれを除く。)を総合すると、次の事実を認めることができ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

原告川久保は、昭和52年4月、○○女子大学文学部児童文化学科に入学し、同年6月1日、○○教会の信者となり(当時、原告川久保は18歳であつた。)、昭和53年7月には○○教会と密接な関係がある○○○○○○の会員となつた。原告川久保は、昭和53年の大学の春休みには、○○教会の修練会に参加し、同年の夏には、○○教会の活動のため40日間くらい家を明けるようなこともあつた。その頃から、原告川久保の両親は、マスコミで○○教会の問題点が報道されたことなどから、原告川久保が○○教会に関係することに反対し始め、このころ、原告川久保の母が原告川久保の持ち物から「○高生は優秀だ、○高生を誘え、親の反対は必ずある、それに負けてはならぬ、日曜日等を利用して近づくのがよい。」などと書かれたメモを発見し、いよいよ強く反対するようになつた。

原告川久保の母は、昭和54年5月ころ、○○教会の山田牧師と知り合いになり、○○○著作である「○○○○の素顔」を紹介されたが、その本の中で、○○○○○○○○○の会の会長として近藤の名前が出ていたので、手紙を出したり、電話をした。近藤は、原告川久保の母に対し、原告川久保は○○教会によつて洗脳されているのだから○○教会から引き離す必要があり、そのために、はじめは家に監禁しておけないかといつたが、後には原告川久保の母は看護婦をしているのだから、適当な精神病院を紹介して貰つて、そこに入れてはどうかと助言した。そこで、原告川久保の母は、いつたんは地元の病院に相談して入院の内諾を得たが、後になつて断わられたため、昭和54年9月ころ、再び近藤に相談したところ、近藤は、原告田川の件で知ることとなつた○○○○○病院の住所と電話番号を教え、被告に相談してみてはどうかと助言した。そこで、原告川久保の母は、昭和54年10月ころ、被告に電話し、相談したところ、はじめは地元の病院に入れた方がよいなどと断わられたが、結局診てくれることになつた。しかし、原告川久保を連れていく方法等について詳細な打ち合わせをしたわけではなかつた。

原告川久保の母は、昭和54年10月27日、○○教会にいた原告川久保に電話をし、原告川久保の姉君枝が怪我をしたので輸血が必要だから一緒に上京して欲しいと虚偽の事実を述べ、その旨を信じた原告川久保を連れてその両親は、同日中に上京し、翌28日午前9時頃、東京に到着するとタクシーで○○○○○病院へ向い、そのまま入院させた。

3  原告美山の場合

原告美山が○○教会員であること、原告美山の両親が被告に連絡したこと、原告美山が昭和54年12月8日に○○○○○病院に入院したことは当事者間に争いがなく、これに原告美山本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第16、第18号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第32号証、証人美山良一の証言、死亡前相被告近藤本人尋問の結果(以下、「近藤本人尋問の結果」という。)、原告美山本人尋問の結果によれば(但し、以上の各供述中、後記認定に反する供述部分は、措信できないのでこれを除く。)、次の事実を認めることができ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

原告美山は、昭和47年3月、○○○○大学商学部を卒業し、株式会社○○に勤務したが、翌48年4月に○○教会の信者となつた。原告美山は、昭和49年4月、○○○○大学法学部に学士入学し、昭和51年3月に卒業するまで、全国大学連合○○○○○会員として活動した。他方、原告美山の両親は、原告美山が○○教会に関係することに反対し始め、昭和50年初めころ、○○○○○○○○○の会に参加し、そのころ近藤を知るようになつた。原告美山の両親が原告美山が○○教会に関係することに反対するに至つたのは、原告美山の父は、同人が経営する美山商事の後継者として原告美山に期待していたのに、原告美山は信仰のため企業活動に興味を失つたばかりか、批判的なことも口にするようになり、父に無断で父の金員を持ち出し、教会に寄付するようになつたこと、元来原告美山は明郎な性格であつたのに、陰うつな性格に変わり、家族からの話に反応せず、沈黙することが多く、表情も目をつりあげたような状態になつたこと、親に連絡することなく、家をあけることが多くなつたこと、また、ある時○○教会の施設から同原告を連れ戻そうとしたとき、神戸ふ頭において、神に殺されるといつて泣き叫んだこともあつたこと、高校時代の同期生で○○教会の信者であつた人物が近所の川に死体であがつたとき、このあたりに霊がついているというようなことを言つたことなどから原告美山の行動を異常と感じたからであつた。

原告美山の両親は、原告美山を○○教会から遠ざけようとしたがうまくいかず、近藤に相談したところ、近藤は、○○○○○病院という精神病院で4年間○○教会にいた原告田川が治つているから、原告田川宅に様子を見に行き、その上で被告と相談してはどうかと助言した。そこで、原告美山の両親は、昭和54年11月19日、原告田川宅を訪れたところ、原告田川は信仰を棄てて家庭に戻つた様子であり、また原告田川の両親も○○○○○病院に入れることを勧めたので、その日のうちに原告田川の紹介で○○○○○病院を見にいつた。そして、原告美山の両親は、被告に原告美山を入院させてくれるように依頼したところ、被告は、原告美山の弟寿夫が○○大学医学部附属病院脳神経外科の医師であり、被告の妹の三男の親友であつたこともあつて、この依頼を引き受けることにした。ただ、右原告を○○○○○病院までどのような方法で連れてくるかなどの点について話しあつたわけではなく、それは原告美山の両親の方で考えることになつていた。

原告美山の両親は、入院日を昭和54年12月8日と決め、その旨を事前に被告及び近藤に個別に連絡しておいた上、同年12月7日、原告美山を徳島市内の知人の大宮妙恵方へ食事に来ないかと誘い出した。そして、右原告の両親、弟寿夫らは、同所において、原告美山の背後から背広を被せて取り押さえ、弟寿夫が睡眠薬を注射し、更に手錠をかけ足を縛つて乗用車に乗せ、途中フェリーを利用し、翌8日の朝、○○○○○病院に到着し、そのまま原告美山を入院させた。

二  原告らに対する被告の診断及び治療行為

1  原告田川の場合

被告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる丙第3号証、前掲甲第9号証(但し、後記認定に反する記載部分は措信できないので除く。)、近藤、原告田川及び被告の各本人尋問の結果(但し、以上の各供述中、後記認定に反する供述部分は措信できないので除く。)によれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  被告は、原告田川の両親から事前に、「原告田川は、○○教会に入るようになつて性格が変り、勝気で口答えをするようになつた。40万円の花瓶を購入するなど月給をほとんど○○教会関係に支出した。○○教会は親は悪魔であると教えているので、親元に戻れといえば、原告田川は、親は悪魔だから言うことはきかないと返答した。」などの事実を聞いていた。

被告が昭和54年4月7日、原告田川を入院させる前に診察したところ、原告田川は、「父が刄物で殺そうとする。私は見える。念力のせい。私は、時時暴力を振うことがありますよ。」などと絶えず話しかけてきて、顔貌は仮面状を呈していたが、挙動ないし態度は落ち着いており、見当識、記銘、記憶、計算は、はつきりしていた。

以上のような状況において、被告は、入院の必要性を認めたが、この時点では、まだ祝祷性精神病であると判断していたわけではなく、原告田川については、心因反応があり、自分の立場の確定が不完全なところが問題であると考えていた。

(二)  原告田川が入院して2か月近くになるのに、一向に信仰及び家族に対する態度に変化がみられなかつたため、原告田川の両親は、昭和54年6月ころ、その著書で知ることとなつた近藤に初めて連絡をとり、原告田川と面会して話してみてくれるように依頼し、被告に近藤の面会の許可を求めたが、許可が出るのに約1か月かかつた。近藤は、昭和54年7月23日に原告田川と初めて面会し、○○教会の批判を中心とした話をし、著書を与えたりした。近藤は、原告田川の入院中に同原告と合計約10回くらい面会したが、被告がその場に立ち会つたことはなかつた。

原告田川の両親と兄、それに近藤は、同年8月2日に同原告と面会し、同原告に「今度兄が石川県に働きに行くことになつたが、まだ教会に行くというなら心配で行けなくなる。」と伝えたところ、同原告は、ようやく「行かない。」と答えた。

原告田川は、同年8月13日、自宅に日帰りし、被告は、カルテの8月21日の欄に、「13日に外出してより大分考えが柔軟となる」との記載をし、同月23日の欄には、「表情おだやかになる。話し方も素直になる」との記載をした。

(三)  被告は、入院期間中、右原告に対し、脳波検査などをするとともに、クロールプロマジン、ハロペリドールなどの精神安定剤の投与を中心とする薬物療法、精神療法及びカウンセリングを行つたり、環境療法として、編みものをさせたり、生花を習わせたりし、炊事を手伝わせたりもした。そして、被告や関本医師は、○○教会に関してもカウンセリングを行つているが、その際、「あまり○○に片寄りすぎると友達が離れていく。」などと言つたことはあつたが、他方で「教会へ行つてもいいが自分がしつかりしていて自分が変わらなければいい。」とも言い、○○教会をやめること自体を積極的に説得するということはなかつた。

(四)  原告田川は、昭和54年9月14日から17日まで、9月22日から25日まで、10月6日から13日までの間は、外泊を許可され、自宅に帰つたが、原告田川の母は、原告田川がもはや○○教会には行かないといつたので、外泊時の家族アンケートを通じて、被告に1日も早く同原告を退院させてくれるように申し出た。しかし被告は、直ちにこれに応じたわけでなく、原告田川が病院内の運動会に出たり盆踊りに参加したことなどの環境への順応性を確認したうえで、10月24日に至つて退院を許可した。

右認定事実によれば、被告は、原告田川の両親や近藤の右原告に信仰を棄てさせようとする意図とは異なり、原告田川に棄教させること自体を目的としたわけでなく、原告田川が信仰に没頭するあまり、家族や社会との調和を欠き、人格に変換をきたしていた点を改善し、環境への順応性を回復させようとしたものと認めるのが相当である。

2  原告川久保の場合

被告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる丙第4号証、前掲甲第15号証(但し、後記認定に反する記載部分を除く。)、近藤、原告川久保及び被告の各本人尋問の結果(但し、以上の各供述中、後記認定に反する供述部分は措信できないので除く。)によれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  前記一・2のとおり、原告川久保は、昭和54年10月27日、両親にだまされて○○○○○病院に連れてこられたが、被告は、すぐに原告川久保を診察し、学校のことなどを次から次へと質問した後、「何といわれてきたのか。」と質問し、原告川久保が姉が交通事故で傷を負つたので輸血のために来たと答えたところ、被告は、とつさに原告川久保の両親に話をあわせて、傷は大したことはないが、貧血で倒れたことが原因だから家族の健康診断が必要であつて、そのためにしばらく入院してもらうと述べ、そのまま心電図をとるためと称して睡眠薬を注射して眠らせた。被告は、原告川久保が○○○○をするようになつて自宅に帰つても自分の部屋に閉じ込もつて家族との接触を避けるようになり、家族とのトラブルが絶えないという原告川久保の両親から聞いた事実及び問診時の印象をもとに同原告につき心因反応であると判断して入院させた。

(二)  大和田医師は、同年11月1日、原告川久保を診断して「やや眠たそうな目、比較的リラツクスした態度、比較的素直な応対、特に不自然そうな状態なところは感じさせない。自然で一貫性がある。精神病的な印象は受けないが、○○への信仰心は強力、訂正不可能の現在である。理念的・観念的思考が強く広がりが足りない、その点では未熟である。」との所見を得たが、精神病とまではいえないと考えたので、カルテに被告による心因反応との診断が疑問である旨の記載をした。

しかしながら、その後も被告の前記診断に従い、原告田川の場合と同様の棄物療法などが続けられ、カウンセリングも行われたが、被告は、原告川久保に対し、親のいうことを聞くようにとはいつたものの○○教会を止めるようにとは言わなかつた。

(三)  原告川久保は、同年11月20日ころ、○○教会の善悪よりも家族との調和を欠いたことに問題があつたのだと考えるようになり、被告に対し、「人間は家庭の基盤を抜きには何事も成就することができない。」と言つたり、同室の他人に対する心づかいを示したり、同室の中学生の勉強を教えたりしたところ、被告は、原告川久保に対し、「もうあなたは大丈夫だ。」といつて、原告川久保の姉のところに外泊することを許可することにし、原告川久保の両親にもその旨伝えた。

しかし、原告川久保の母としては、電話で同原告と話してみても原告川久保が棄教した様子も見られなかつたところから不安になり、近藤に看てくれるように依頼した。そこで、近藤は、その翌日、早速○○○○○病院に出向き、初めて原告川久保と面会し、○○教会に対する信仰を棄てたかどうかを確認しようとしたが、原告川久保が信仰を悟られぬように応対したため、信仰を棄てたものと信じた。しかし、近藤は、原告川久保に対し、外泊先が姉のもとでは○○教会と連絡をとるおそれがあるとして、外泊先を近藤宅にするように被告に働きかけると言つていたが、これは実現しなかつた。こうして、原告川久保は、被告の許可で、昭和54年11月23日から25月まで、姉のところに外泊した。

(四)  被告は、原告川久保の信仰は変わつておらず、いつかは○○○○に復帰するものとは考えながらも、12月5日ころ、原告川久保を退院させることにした。そして、被告は、原告川久保に対しては、信仰の自由は認められるが社会生活上のルールは守る必要があること、両親と話しあつて無茶な行動はとらないこと、自宅から通学することを指示した上、12月9日、退院させた。

右認定事実によれば、大和田医師の所見などからすると、被告による心因反応との診断が正当としても、それは入院を必要ならしめるほどの精神障害だつたとは認めることはできないが、しかし、被告は、原告川久保の両親や近藤の思惑と異なり、原告川久保に信仰を棄てさせようとしていたわけではなく、原告川久保が家族や社会との調和を図つていけるようにすべく入院させていたものと認めるのが相当である。

3  原告美山の場合

被告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる丙第5号証、前掲甲第18号証(但し、後記認定に反する記載部分は措信できないので除く。)及び弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第33号証、近藤、原告美山及び被告の各本人尋問の結果(但し、以上の各供述中、後記認定に反する部分は措信できないので除く。)によれば、次の事実を認めることができ、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  前記一・3のとおり、原告美山は、昭和54年12月8日、両親らによつて、手錠をされた上麻縄で縛られて○○○○○病院へ連行されたのであるが、途中で睡眠薬を注射されていた上に相当疲労していたので、被告の問いに対しても応答できる状態でなかつたので、全く口をきかなかつた。そこで、被告は、原告美山につきそれ以上の問診を行うことなく、家族から「原告美山が教会から出ると神に殺されるといつて車の窓から飛び出しそうになつたことがある。」などの事情を聞いたのみで、精神病であるかどうかの診断をすることなく、原告美山を経過観察のためとして入院させた。そして、被告は、カルテに「異様な入院風景に精神科医になつて殆んど始めての経験、何となく割りきれない感じ」と記載した。

(二)  それから1週間経過した12月15日、被告は、原告美山に対してカウンセリングを実施したところ、原告美山は、「私は○○○○の仕事をしているが、月給2万円であるので父の所へ金をせびりに行く。私は父の金を全部使うつもりはないが、献金はたとえ1000円でも尊い金だから大切に使いたい。しかしカンパは尊くない。父からもらう金はカンパであるからどんなことに使つてもかまわない。父にカンパさせたわけです。それを父が怒つたのでしよう。たしかに父母・弟に話し合いをして納得して貰わなかつたのは悪いと思う。しかし私は宗教を変えるつもりはない。」などと語つた。その後の診察においてもこれといつた所見はなく、被告は、昭和55年2月20日、原告美山に対し、○○○○に入つた動機を今一度考えて反省してみること、果して今後同じ道を歩むだけのメリツトないし魅力があるかどうかを考えてみるように指示した。しかし、被告は、同原告に○○教会をやめるように求めたことはなかつた。

(三)  訴外増山達は、昭和55年2月22日、被拘束者を原告美山、拘束者を被告とする人身保護請求を行つたが、その際、被告が東京高等裁判所に提した診断書には病名の記載はなかつた。そして、原告美山は、昭和55年3月4日、東京高等裁判所昭和55年(人ナ)第1号人身保護請求事件判決によつて釈放された(右判決があつた事実は当事者間に争いがない。)。右認定事実によれば、被告は、原告美山について、精神病でなかつたにも拘わらず、入院させ、不必要な薬物療法を行つていたものと認めるのが相当である。

三  被告の責任

右一、二判示の事実に基づいて被告の責任について判断する。

一般に、人をその同意なくして精神病院に入院させ、身体を拘束して治療するには、都道府県知事が入院措置をとらないかぎり、第一に、その人が、精神病院の管理者によつて診察の結果精神障害者であると診断されることが必要であり、第二に、精神衛生法第20条所定の保護義務者の同意があることが必要である。ところで、原告らを入院させることについて同意をしていた原告らの両親は、いずれも家庭裁判所から保護義務者として選任されていなかつたことは当事者間に争いがなく、被告は、それにも拘わらず、原告ら3名を入院させたものであるから、右行為はこの点において違法であるといわざるを得ない。被告は、家庭裁判所に保護義務者の選任手続をとるようにしなかつたのは、原告らの両親が、原告らの将来のために事実関係が公にならないようにしたいとの強い希望をもつていたためであり、また、精神病院においては、このような扱いが事実上是認されている例が多いから違法でないと主張するが、患者の人権保障のためには、前記各要件は厳格に解されるべきであるから、被告の右主張は、採用し難い。

更に、原告美山については、被告は、入院前に十分に診察したわけでなく、従つて精神障害者であると診断したわけではないのに、入院させて不必要な薬物療法などを継続したものであり、この点においても違法である。

また、保護義務者の同意によつて入院させ得るのは、診察の結果精神障害者であると診断した者につき、医療及び保護のため入院の必要があると認める場合だけである(精神衛生法第33条)というべきところ原告川久保については、入院を必要とするほどの精神障害はなかつたのであるから、この点においても違法である。

従つて、被告には、原告らの損害を賠償すべき責任がある。

四  損害

1  原告らの拘束期間

前記一、二認定のとおり、原告田川は、昭和54年4月7日に入院し、同年10月24日に退院したが、その間、同年9月14日から17日、9月22日から25日、10月6日から13日には、外泊していた。原告川久保は、同年10月28日に入院し、同年12月9日に退院したが、その間、11月23日から25日までは外泊していた。原告美山は、昭和54年12月8日に入院し、昭和55年3月4日に釈放されたが、同年3月2日から3日にかけて外泊していた。

2  退院後に異常が生じたとの原告らの主張について

原告田川本人尋問の結果によれば、同人には、言葉がもつれ、字が思うように書けないとか、食事がのどを通らなくなるなどの症状が退院後一週間くらい続いたというのであり、原告川久保本人尋問の結果によれば、同人には首が思うように動かず指が震えるとか、視力が落ちるなどの症状が退院後しばらく続いたというのであり、原告美山本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第19号証によれば、同人には退院後不眠とか原因不明の発熱などの症状が続いたというのであるが、仮にこれらの症状が認められるとしても、それらと被告による前記の薬物療法との間に相当因果関係があると認めるに足る証拠はなく、また、その他の治療行為との間の相当因果関係についてもこれを認めるに足る証拠はない。

3  右認定の原告らの入院期間、前記一、二認定の入院前後の事情、特に被告が本件行為に及んだのは原告らの両親からの強い依頼によるものであつて、原告らの両親がこのような依頼をしたのは我が子である原告らの将来を案ずる気持ちからであること、そして、原告らの両親がこのような行動に出たについては、原告らが信仰に没頭するあまり、親兄弟等家庭をかえりみない行動をとつたことにもその原因があると認められること、被告は、原告らにその信仰を棄てさせること自体を目的としていたわけでないこと等の諸事情を総合考慮すると、原告らの精神的苦痛を慰籍するには、原告田川について金120万円、原告川久保については金50万円、原告美山については金80万円の慰籍料をもつて相当と認める。

五  結論

以上によれば、原告らの請求は、原告田川につき金120万円、原告川久保につき金50万円、原告美山につき金80万円及び右各金員に対する不法行為の日以降の日である昭和55年3月20日から支払済まで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求はいずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第89条、第92条、第93条を、仮執行の宣言につき同法第196条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 根本久 裁判官 西尾進 齊木敏文)

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